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2010年3月31日水曜日

小説 「バック ロード」 31  戸口 了

部屋に戻ったときに、ドアの隙間に一通の手紙が差し込まれてい
るのに気付いてはいた。しかし、アキラはかなり酔っていたのも
あり、手にしてそのままテーブルの上に放り投げ、ベッドに潜り
込んだ。そして、泥のように眠った。
目覚めたのは、翌日の昼を過ぎていた。工場から聞こえる物音で
目が覚めた。土、日はアキラの会社では誰も就業していなかった。
前日の酔いの名残りを留めたアキラは、台所で頭から冷水を浴び、
ベッドに腰掛けた。しかし、一向に醒める兆しを見せなかった。
それを、一瞬にして変えたのは例の手紙だった。
手に取りベッドに戻ったアキラはそれを、差出人を見ても、それ
がカズオの父親であることに暫く気付かなかった。そして、封を
切り、中に列記されているヤスコの名を確認して、初めてすべて
を理解した。
アキラは暫く、動けなかった。事態を悟ったアキラの頭の中には
昔の思い出が、走馬灯のように蘇った。
居ても立っても居られなくなったアキラは、着替えて工場に降り
た。

2010年3月30日火曜日

小説 「バック ロード」 30  戸口 了

署から離れたところの居酒屋で呑んだ。
「明日から、演るぞ。」
「ああ、今、アキラのギター借りてるから一人ずつな。」
どうしてシンジのギターがないか、アキラは理解していた。
「あのギター、シンジさんが使って下さいよ。もともとシンジさ
んのギターなんですから。」
「ばかやろう。あれはアキラの女房なんだよ。俺がいくら頑張っ
ても、俺の思う通りに泣いてくんねえんだよ。」
「シンジさん、それじゃあ姦通ですよ。」
「ははは、大丈夫。手はつけないよ。俺もすぐ再婚するから。」
アキラは泪を流していた。
「めそめそすんじゃねえよ。さあ、行くぞ。」
「え?行くって、どこへ?」
「決まってんじゃねえか。天国だよ、天国。」
そのまま、ソープに連れて行かれ、そして地元でもう一度、呑ん
だ。
寮に戻ったときには夜もかなりふけていた。そして工場には定期
的に持ち込まれていた白いコルベットが静かに眠っていた。
「アキラ、月曜からの仕事だよ。今回は車検だってよ。」
月光に浮かぶなまめかしいボディを、アキラはしばし眺めていた。

2010年3月29日月曜日

小説 「バック ロード」 29  戸口 了

「お前も、一緒か!」
「その人は、違う!」
「救急車が先だ!おとなしくしてろよ!今、車が来るから。」
救急車の出るのを待って二人はパトカーに分乗し、署に連行され
た。
「あの人は関係ない!」
警察の尋問を受けたアキラから出た言葉はそれだけだった。
「お前、プロだったんだってなあ。」
「それがどういうことか、分かってんだろうな。」
「いつまで、だんまり決め込むつもりなんだ。え?」
「そっちがそのつもりなら、覚悟しとけよ。」
「死ぬまで、出してやんねえからな。」
結局、アキラは拘置期限一杯まで過ごした。釈放されたのは期限
が切れる最後の金曜日の午後だった。
身柄引受人はシンジだった。そして、シンジの尽力だったのを、
アキラは聞かされていた。警察署に迎えに来たシンジに、アキラ
は深く頭を下げた。
「よし、呑みに行くぞ。」
シンジの第一声は、それだった。

2010年3月28日日曜日

小説 「バック ロード」 28  戸口 了

その瞬間、ケースから手を放したアキラの右手は、ギターの重み
から解き放たれ、その男の顎を力一杯粉砕していた。
男は二、三メートルほど吹っ飛び、動かなくなった。
「てめえ、なにしやがんだよ!」
「ふざけんじゃねえぞ!」
他の三人がアキラに飛び掛かってきた。アキラは自分のボクシン
グスタイルをとらずに、一発のパンチも受けることなく、三人を
それぞれ、一発で地面に這い蹲らせた。四人とも身動きひとつし
なかった。
アキラは最初の男のところへ行き、左手で胸ぐらを掴んで立たせ、
サンドバッグのように右の拳を腹に打ち込んだ。
ワン、ツー、男の反応はなかった、スリー、フォー、アキラの眼
から泪がこぼれ落ちた、ファイヴ、シックス、男の口から吐しゃ
物が噴き出した、セヴン、エイト、それが血に変わった、ナイン、
最後の一撃を顔面に打ち込もうとして拳を振り上げたとき、その
右腕に圧力を感じ冷たい感触と共に乾いた金属音を聞いた。
「暴行、傷害の現行犯で逮捕する!」
「アキラ!」
振り返ったアキラは、そこに二人の制服警察官とシンジの姿を見
た。誰が警察に通報したかは分からなかった。

2010年3月27日土曜日

小説 「バック ロード」 27  戸口 了

「行くぞ、アキラ。」
シンジはさっさと伝票を手に取り、会計に向かった。アキラも黙
って、それに従った。
「弾けねえくせに、ブルース面すんじゃねえよ、なあ。」
アキラの背中に罵声が突き刺さっていた。
店を出た二人は無言で駅に向かった。途中の角のコンビニの前を
通り掛かったときにアキラが声を掛けた。
「シンジさん、すいません。ちょっと、飲み物を買っていきます
んで、先に行ってて下さい。すぐ追いつきますから。」
「あ、ああぁ。」
シンジが角を曲がったのを見届けて、アキラはすぐにきびすを返
した。
時間はあまりなかった。シンジが気付いてすぐに戻ってくること
は、分かっていた。アキラは急いで居酒屋の暖簾を上げた。
外で待ってはいられないので、一度店内に足を踏み入れた。連中
はすぐに気付いた。それを確認したアキラは外に出た。
間もなく、男達は出てきた。
「ようよう、なんだよ。弾く気になったんかよ。」
「ははは、ほら聴いてやっから、ギター出しな。」
「こいつは、開けとけよ。金、入れてやっからよ。」
一人がギターケースに蹴りを入れた。

2010年3月26日金曜日

小説 「バック ロード」 26  戸口 了

「よし、呑みにいくぞ。二人で打ち上げだ。」
シンジに連れられ、二人はブルーススポットの近くの居酒屋に入
った。
「来週から、ずうっと演るからな。」
「どうだ?演った感想は。」
二人は旨い酒を呑んでいた。しかし、アキラは隣のテーブルで騒
いで呑んでいる同年代の四人の男達の視線が気になっていた。
「ねえお兄さん達、バンドやってんの?」
一人がシンジに向かって声を掛けてきた。
「いや、バンドってほどじゃないよ。」
「え~?けど、ギター弾くんだろ?なにやってんだよ。」
「ああ、ブルースをちょっとね。」
「じゃあ、ちょっと聴かせてくれよ。そのブルースってやつを。」
他の一人が絡んできたが、シンジは軽く受け流した。
「なんだよ。弾けねえのかよ。」
「今日は、ちょっと。」
「そうか、弾けねえのか。こちらさん、ギター持ってんのに弾け
ねえんだとよ!ケースん中は空だとよ!」
一人が店内一杯に聞こえるように大声でなじった。アキラの顔か
ら血の気が退いた。それと同時にシンジが席を立った。

2010年3月25日木曜日

小説 「バック ロード」 25  戸口 了

     4
「最高だったよ、アキラ。なんか昔を思い出すような音だったよ。
ねえシンジさん、そう思いません?」
ライヴも終わり、様々な連中が賛辞を述べ引き揚げた頃、一段落
してアキラを挟みカウンターで呑んでいたカズオがシンジに声を
掛けた。
「うん、そうなんだよ。アキラのギターにはなにかを感じさせる
音があるんだよ。それがなにであるかは、聴く人によってまちま
ちなんだけどね。でも、それでいいんだよ。まあ、俺の目に狂い
はなかったってことさ。」
アキラは照れていた。そして、満足していたシンジはまだ残って
いる連中に、得意げにブルース談義を吹聴していた。
「ところでアキラ、手紙届いてないか?」
機を見計らったカズオが不安げにアキラに持ち掛けた。
「え?あっ、俺、全然ポスト見ないからなあ。なにか、送ったの
か?」
アキラの寮には玄関の脇に個別のポストが設置されていたが、ア
キラは一度もそれを覗いたことはなかった。もし、郵便物があれ
ばたまに気を利かせた誰かが部屋のドアに差し込んでくれていた。
「今日、帰ったら見とくよ。だけど、なに書いたんだよ。」
「いや、とにかく見てくれよ。じゃあ、俺はこれで。必ず連絡く
れよな。」
ドアのところで振り返り、片手を上げて、カズオは出ていった。

2010年3月24日水曜日

小説 「バック ロード」 24  戸口 了

その夜、アキラはチャンピオン戦以来初めて、カズオと連絡をと
った。受話器の向こうから元気そうなカズオの声が聞こえてきた。
そして、アキラから連絡をよこしたことを心から喜んでいる様子
だった。しかし、カズオは大学のインターンも終え、二、三日で
地元に戻る手筈を整えていた。アキラは近況と、そしてブルース
とギター、ライヴのことを手短に報告した。カズオは会って話も
したいということで、一週間帰郷を遅らせることを約束して電話
を切った。
ライヴ当日は大盛況だった。シンジの前宣伝もあり、店始まって
以来の観客で、普段は五十人も入れば満杯になるのが、その二倍
以上に膨れ上がり、店内は息苦しいほどであった。同僚は勿論、
ボクシング時代のアキラのファンも掛け付けた。その中に、カズ
オの姿もあった。
しかし、演奏自体をアキラは全く憶えていなかった。最初はかな
り緊張していて、シンジのギターについていくのがやっとだった。
シンジにソロを促されたときには、頭の中は真っ白になっていた。
かなりミストーンを出していた。それでも演奏が終わったときに
は万雷の拍手を受けていた。我に返ったのは、演奏が終わってシ
ンジに声を掛けられてからだった。カウンターの端にいるカズオ
の目が潤んでいるように見えた。そして、ぼんやりと客席を見渡
していた。
アキラの人生になにかが見え始めた。

2010年3月23日火曜日

小説 「バック ロード」 23  戸口 了

一年が経っても、アキラの演奏はそれほど上達しなかぅた。なん
とかシンジの邪魔にはならなくなってきたが、アキラの出す音は
ブルースではなくフォークソングだった。
「どうして、シンジさんみたいな音が出ないんですかね。」
「音を見つけるんだよ。そして、その音に感情を込める。全ての
音を出さなくてもいいんだよ。アキラ、お前のギターにはその感
情があるから、うまくできるようになるよ。」
しかし、シンジのギターとなんとか絡めるようになるまでには、
さらに、二年の歳月を費やしていた。
「アキラ、来週、一緒に演るぞ。」
その一言で長かったアキラの修行時代が幕を閉じた。アキラがギ
ターを手にしてからちょうど三年経った春だった。シンジに借り
ていたギターもかなり使い込まれていた。
「今日から、そのギターはお前のもんだ。」
「え?だ、駄目ですよ。それに、こんなに長く借りててすいませ
ん。」
アキラは自分でギターを手に入れることを全く考えなかった。借
りていたことにやっと気付かされた。あわててギターをシンジに
返そうとした。
「ばかやろう。お前の仕込んじまったやつじゃ、俺にはもう泣か
せられねえんだよ。まあ、可愛がってやれや。」
アキラの胸に熱いものがこみ上げてきた。

2010年3月22日月曜日

小説 「バック ロード」 22  戸口 了

「駄目ですね、やっぱり。」
「そのギター、貸すから練習してみな。」
「え?だってこれは・・・。」
アキラはシンジの大切にしているギターに触れるだけでも躊躇っ
ていた。それを貸そうというシンジの進言に戸惑いを隠せず、困
った顔をした。
「いいんだよ。ギターなんて、一本ありゃあ充分だよ。」
結局、その日はシンジのギターを聴きながら、酒を呑んだ。そし
て、シンジから借りたギターを自室に持ち帰った。
明くる日から、シンジのギターの手ほどきが始まった。週末は都
内のブルーススポットに同行した。しかし、シンジはテクニック
を全く教えなかった。部屋ではアキラにキーを指定して、自分は
思いのままフレーズを弾きまくった。ライヴスポットでも、アキ
ラはカウンターの端に陣取りバーボンを口にしながら、シンジや
他の演奏者の曲に耳を傾けるだけだった。
しかし、アキラにとってそれは重要な時期だった。ライヴではシ
ンジのギターは部屋で聴いていた音と全く違っていた。部屋で聴
く音は何かもの哀しく切ないものであったが、ライヴでは力強く
生き生きしていた。そして、その中に含まれた色々な感情も汲み
取れるようになっていた。

2010年3月21日日曜日

小説 「バック ロード」 21  戸口 了

シンジが選んだほうはスレンダーな塾女であり、木目のほうはト
ランジスタグラマーだった。
「え?」
「どうかしたか?」
「あ、いつもレコードだと思ってましたから。」
「ははは、いつから、そんなお世辞が言えるようになったんだよ。」
シンジはそう言いながらも笑みを浮かべていた。
「アキラ、ちょっと弾いてみな。」
「駄目ですよ、俺は。」
「まあ、いいから。」
酔いも手伝って、アキラはトランジスタグラマーを手にした。思
ったより、それはアキラの身体にフィットした。アキラはしげし
げと眺めた。
「それは、テレキャス、テレキャスターってんだ。エレキギター
の原点だよ。いいギターだろ?」
アキラには分からなかったが手になじむことは確かだった。シン
ジがアンプに繋ごうとしたが、それを断った。そして、高校のと
きに覚えたコードをたどたどしく押さえながら弾いてみた。
シンジとは格段の差があった。音が全然出なかった。アキラはギ
ターをスタンドに戻そうとした。

2010年3月20日土曜日

小説 「バック ロード」 20  戸口 了

アキラは畳の部屋の真ん中にある小さなテーブルの前に直に座ら
された。そして台所からシンジが持ってきた形の違うグラスのひ
とつを手に、バーボンをストレートで注がれた。アキラはそれを
一気に咽に流し込んだ。熱い刺激が身体中に巡り、そしてアキラ
はむせた。
「おいおい、無理すんなよ。酒なんてもんは、呑みたいときに、
呑みたいだけ呑むもんだよ。」
むせながら、アキラは辺りをキョロキョロ見回した。
「なんか、おかしいか?」
「いえ、これ、これなんすか?」
「あ、ブルースだよ。ブルースって、知ってるか?」
「あ、いえ、名前だけは。」
「ははは、それだけだよ。後にはなにもない。」
アキラには納得がいくのかいかないのかも分からなかった。
「アキラは、ギター弾けるのか?」
「え?いえ、全然。」
シンジは立て掛けてあったギターの黒いほうを手に取り、ベッド
に腰掛けて、アキラが気付かなかった豚の鼻のつまみの付いた小
さなアンプにコードを繋ぎ、爪弾き出した。アキラには二本のギ
ターが同じように見えた。そしてどちらからも女の体を連想した。

2010年3月19日金曜日

明日 シンパeナイト!


3・20(土)21:00~
「フランケンの花嫁」
  03-5454-8555
 代々木公園駅 公園側出口
  交差点交番斜め向かい
明日です!よろしく
   お願いいたします!
出演:トリプル・ブレーキ牡丹
   シンパ・・・end more

写真は好評の「夜光」ピックであります。
何人かのミュージシャンからのオーダーも受けました。
写真は「カツ」氏の「HONMOKU ASOBA NIGHT」
一枚¥120(両面プリント¥140)で50枚から受付
  版代¥1500(両面¥3000)追加の場合は無料
落としても、投げても、見つけやすい・・・ハハハ

あ、小説ですが・・・中盤に差し掛かりました。
まあ、最後までお付き合いくださいませ・・・っと。

2010年3月18日木曜日

小説 「バック ロード」 19  戸口 了

シンジは平日は他の従業員とは別で、いつも一人で自室に閉じこ
もりレコードを聴いていた。そして、週末になると必ずギターを
持ち、出掛けた。それが、都内のブルーススポットであり、そこ
で演奏していることは、誰かから聞いて知っていた。そんなシン
ジに呼ばれてどんな話をするのか、アキラには皆目、見当もつか
なかった。しかし、その日一日で、アキラはシンジにかなりの興
味を持っていた。
「シンジさん、アキラです。」
「おお、入れや。」
シンジの部屋は、造りはアキラの部屋と同じだったが、なにもな
いアキラの部屋とは別世界だった。壁一面にギターを抱えた黒人
の写真が貼られていた。ある者は喜びを満面に湛え、ある者は怒
りに満ち、またある者は哀しげに、そして楽しげに、それらはギ
ターを弾いていた。白人の写真も数枚混ざっていたが、いずれに
せよアキラの理解できるものではなかった。
そして、数百枚はあろうかと思われるレコードの棚が目を引く。
スタンドに掛けてある二本のギターとそれらを除くと、生活必需
品だけのアキラの部屋と変わらないのだが、実際は異空間を形成
していた。

2010年3月17日水曜日

小説 「バック ロード」 18  戸口 了

アキラはシンジの言うがままにコルベットに乗り込んだ。エンジ
ンを掛けて二、三度アクセルを吹かした。轟音がアキラの身体を
揺さぶった。しかし、エンジンの吹けはよくなかった。アキラは
思い切って外に飛び出した。
首都高に乗り入れ、徐々にメリハリのある運転に切り換えていっ
た。そして、関越に入り、アクセルを目一杯踏みつけた。
次のインターで折り返した頃には、白いモンスターは息を吹き返
していた。アクセルワークで微妙に反応するエンジンはアキラを
虜にした。アキラはこの車が欲しくなった。しかしチャンピオン
の道を閉ざされたアキラにとっては一生涯持てる車でないことは
分かっていた。
工場に戻ると、早速、シンジに声を掛けられた。
「どうだった?」
「もう、ばっちりですよ!」
アキラの声は弾んでいた。
「車ってやつは、乗り手を選ぶもんなんだよ。」
シンジの一言でアキラの顔に笑顔が生まれた。
「ところで、アキラ。後で部屋に来いや。」
アキラは喜んで頷いていた。しかし、不安もあった。一番の古株
であるシンジとはあまり話したことはなかった。

2010年3月16日火曜日

小説 「バック ロード」 17  戸口 了

工場長に、アキラが呼ばれた。
「こいつが担当しますから。」
アキラは軽く頭を下げた。若い男の目には嫌悪が宿っていた。
「え?大丈夫かなあ。大事な車なんだよねえ、社長?」
「大丈夫ですよ、お客さん。こいつはこうみえてもアメ車のエン
ジンにかけては一番ですから。」
「でもさあ、この人、ボクシングやってた人だよねえ。もうボク
シングもできないんでしょ。車いじって大丈夫なの?」
アキラの心の中に火が点いた。自分から手を出しても構わないと
思った。右手の拳を握りしめた。
その瞬間、右肩を強い力で掴まれた。用事で事務所に入ってきて
いた先輩のシンジだった。しかし、その強い力はアキラの心に優
しく置かれた。
「あ、まあ社長が言うなら、とにかく、よろしくね。」
若い男はそそくさと事務所を後にした。
突っ立ったままのアキラをシンジがコルベットのところに連れ出
した。
「こいつぁあ、きれえすぎるな。なあ、アキラ、ちょっと外でも
ぶっ飛ばしてこいや。生き返るぞ。」

2010年3月15日月曜日

小説 「バック ロード」 16  戸口 了

     3
汗と油まみれの日々が続いた。結局、アキラは精密検査を受けな
かった。そしてあれ以来、ジムには足を踏み入れていなかった。
以前は見習いだった修理工も、ボクシングを辞めてからは整備士
のライセンスを取得し、自動車教習所にも通った。
一年が経ち、二十二歳の春になってもアキラの心は虚無だった。
仕事自体は電気関係が苦手だったが、エンジン周りなどの機会部
分は自分でも少し興味を覚え、特にアメ車などを担当した。
その頃には、酒と煙草、そして女も覚えていた。仕事仲間に誘わ
れるまま飲みに出た。酒の勢いでソープにも足を運んだ。しかし
アキラは、なににものめり込むことはなかった。所持金は増えも
減りもしなかった。
そんなある日、工場に白いコルベットが持ち込まれた。見た目は
極上の手入れを施していた。従業員は全員、スティングレイと呼
ばれる白いモンスターに目を見張った。アキラはそれが昔、世界
チャンピオンの命を奪った車だということに気付いた。しかし、
写真で見たその車は原形を全く留めていないただの鉄クズだった。
実物を見て、アキラは軽い興奮を覚えた。
若い男が事務所に入っていった。
「アキラ!」

2010年3月14日日曜日

小説 「バック ロード」 15  戸口 了

気付いたのは、控え室のベンチの上だった。
目を開けたときに聞こえてきたのは、会長とドクターのなにか深
刻な会話だった。その他に人の気配はなかった。アキラは悟られ
ないように、再び目を閉じた。
「今まで、どうして分からなかったんだね。君もプロじゃないか
ね。」
「へえ、でも、こいつは・・・。」
「あんな無茶な戦い方があるかね。」
「こいつは、こいつは、夢を背負ってたんでさあ。」
「限度というものがあるだろう。このままじゃ、本当に夢で終わ
るよ。」
「夢、夢を掴んでほしかっただけでさあ。」
「それは、あんたの夢だろう。こんな有望な若者の夢を、あんた
が壊してるんだよ。」
「・・・・・・。」
「とにかく、一度、精密検査を受けるんだね。結果が出ないと、
試合の許可は出さないから、そのつもりで。紹介状は書くから。」
アキラは目を見開いて、天井を見ていた。なにも感情が湧かなか
った。
そして、アキラのボクシング人生はこれで、終わった。

2010年3月13日土曜日

小説 「バック ロード」 14  戸口 了

しかし、勝利の女神はアキラに微笑まなかった。
アキラはそれまでと同様に一ラウンドはチャンピオンに打たせる
だけ打たせた。自信はあった。しかし二ラウンドに入り間合いを
付けパンチを放つのだがチャンピオンに決定的なダメージを与え
られなかった。スピードと力はあったのだが、チャンピオンはか
ろうじて急所をはずした。三ラウンドで焦りからアキラは自ら手
を出した。パンチに力はあったが巧みなチャンピオンのテクニッ
クには通じなかった。そしてアキラのパンチが流れだした。疲れ
はないのだが思うところにパンチを打ち込めなくなってきた。
自分でも、もどかしさを感じ始めた。アキラの派手なパフォーマ
ンスを期待していた観客はざわついた。
第四ラウンドの開始ゴングが鳴って、観客が騒然となった。勝負
を賭けたアキラは両腕を垂らし、ノーガードの暴挙に出た。チャ
ンピオンは注意深くしかし容赦なくアキラにパンチを打ち込んだ。
一瞬の見切りをつけ、アキラが渾身のストレートを放った。その
瞬間、右に流れたチャンピオンの右フックがカウンター気味にア
キラのテンプルにヒットした。そんなに強烈なパンチではなかっ
たが、アキラは膝を折り、その場でマットに崩れ堕ちた。痛みも
なにも感じなかった。ただ、一瞬の出来事だった。そして意識が
途切れた。

2010年3月12日金曜日

小説 「バック ロード」 13  戸口 了

ジムの会長は大事をとって試合を秋に延期した。アキラは少し落
ち込んだが自分のミスから起きた事件なので承知した。しかしト
レーニングは止めなかった。今まで右手一本で相手を倒してきた
が、その右手が使えなくなっていた。そこでアキラは左でも相手
を倒せるようにトレーニングを積んだ。当初はうまくいかずに今
まで以上にパンチを受けた。しかし、夏も終わる頃には左でも相
手を倒せる間合いと力をつけた。
第三戦の相手はランキング三位の選手だった。ここまでくると相
手に研究されて不利に思われたが、左で相手を倒すことを覚えた
アキラはまたも二ラウンドで、しかも左で相手をKOした。もう本
人たちよりボクシング界が騒然とした。そしてチャンピオン戦を
仕組むよう煽った。四戦目でチャンピオンに挑戦するのはほぼ最
速のスピードだった。チャンピオン側はそれを嫌ったが周りの状
況から挑戦を受け入れるしかなかった。
チャンピオン戦は翌年の正月明けに組まれた。アキラは正月も返
上してトレーニングに励んだ。そして、その次の世界を見ていた。
アキラは負ける気がしなかった。どんなに打たれても一発で相手
を倒す自信をつけた。
上京して初めてカズオと連絡をとった。カズオは喜んで応援に駆
けつけてくれた。自信に満ちたアキラの顔を久々に見てカズオも
勝利を確信した。

2010年3月11日木曜日

小説 「バック ロード」 12  戸口 了

プロライセンスは簡単に取得できた。そして間もなく、アキラの
デビュー戦が組まれた。相手はランクには入っていないものの、
かなり上位に位置する実力者だった。しかし、アキラは二ラウン
ドで簡単に葬った。打たせるだけ打たせて一発で相手を沈めるア
キラのボクシングスタイルは、観客に熱狂的な興奮を与えた。勝
利後、すぐに地元の後援会ができた。アキラは華々しいデビュー
を飾った。
第二戦は翌年の始めに組まれた。今度の相手はランキング八位の
選手で、アキラが勝てば入れ替えになり、ランキング選手として
登録されることになった。今回も二ラウンドで決着をつけた。前
回よりパンチを多く喰らったが、一瞬の間合いを突き、相手をマ
ットに沈めた。観客はアキラが打たれれば打たれるほど盛り上が
った。アキラもそれが自分のスタイルだと確信した。
そしてアキラは成人式を迎えていた。希望に満ちた新成人だった。
アキラは酒も煙草も避けていた。そして女も。ボクシング一本に
賭けていたアキラはあらゆる誘惑を拒絶し、節制していた。ボク
シングの普段の練習でも実戦を想定して、自分のスタイルに磨き
をかけた。
第三戦は春に決まった。ところが、仕事に慣れてきた気の緩みも
あってアキラは利き手の右手に怪我を負ってしまった。

2010年3月9日火曜日

小説 「バック ロード」 11  戸口 了

     2
アキラの東京でのボクシング人生が始まった。大学の寮に入った
アキラは、寮の自分の部屋とボクシング部との往復だけの学生生
活を送った。学科の苦手なアキラは教室に入ったことがなかった。
そのことについて監督やコーチに厳しく咎められた。しかしアキ
ラは気にも留めなかった。
それよりもアキラが追い込まれたのはボクシングスタイルだった。
アマチュアでは、アキラの相手に打たせるだけ打たせて、一発で
仕留めるスタイルは嫌われた。散々、コーチから防御の必要性を
説かれた。そしてアキラも感じてはいた。同じ新入部員からは一
目置かれていたが、上級生からは厳しい目で見られた。身体も大
きく、ヘッドギアを着け、防御のテクニックを身に付けている上
級生を、なかなかアキラは倒せなかった。アキラに焦りが出始め
ていた。しかし身に付いたスタイルは変えられなかった。
最初の夏休みに帰郷しなかったアキラはボクシング部の合宿の後、
大学には戻らなかった。そして電話帳で調べた、高島平にある小
さなジムの門を叩いた。仕事はジムの会長の計らいで、ジムの近
くの寮のある自動車修理工場で働くことに決まった。早速、入寮
しアキラはプロへの道を歩み出した。会長はアキラに身を入れた。
ボクシングスタイルに少々の不安はあるものの、稀にみる逸材を
手に入れ、野望に燃えた。

2010年3月6日土曜日

小説 「バック ロード」 10  戸口 了

大会を前後して、二人には東京の大学から推薦入学の誘いが舞い
込んでいた。アキラにとっては願って叶ったものであったがカズ
オはそれを断わり、そして退部届けを出した。アキラは説得した
がカズオの親との約束である以上、他になにも言えなかった。
大会が終わって、カズオは二度と現われることはなかった。相棒
を失ったアキラもクラブには顔を出さず、ジムに通った。キョウ
コとヤスコも後進に委ね退部した。アキラはジムでプロ相手に練
習に打ち込んだ。
春が来て、見事に東京の医大の受験にパスしたカズオは、真っ先
にアキラに報告しにきた。アキラは自分のことのように喜んだ。
場所は違うが同じ東京の空の下で暮らせることに喜びを感じた。
カズオは親が決めたマンションに、そしてアキラは大学の寮に籍
を置くことに決まった。そして一緒に街を出る手筈を整えた。
駅での見送りを拒否した二人は家で家族との別れを告げ、駅で待
ち合わせた。しかし、キョウコとヤスコは駅に来ていた。明るく
見送るキョウコに対し、ヤスコの目は潤んでいた。アキラとカズ
オは、お互いなにかヤスコに声を掛けたかったがなにも言えなか
った。そして列車は動き出した。
確かに出るときは、二人とも輝いていた。

2010年3月5日金曜日

小説 「バック ロード」 09  戸口 了

実際、試合は散々たるものだった。ゴングが鳴っても二人は手を
出さなかった。レフリーのファイトの警告は耳に入るのだが手が
出ない。第一ラウンドは睨み合いというより見つめ合いで終わっ
た。第二ラウンドに入っても状況はあまり変わらなかった。レフ
リーの再三の警告を受けたにもかかわらず二人の見つめ合いは続
いた。辛抱しきれなくなった観衆の中にはヤジを飛ばす連中も現
われ始めた。第三ラウンドの始まる前にレフリーから注意を受け
た二人はやっと動き出した。アキラが手を出し始めた。しかしス
パーリングより力のないパンチはなにもカズオにダメージを与え
なかった。返すカズオのパンチも急所を捕えていなかった。二人
とも顎とボディーは打たなかった。じれた観衆からはあいかわら
ずヤジが飛んだ。二人はその連中をノックアウトしたかった。そ
してゴングが鳴った。
しばらくの協議の結果、判定は引き分けに終わった。納得のでき
ない観衆はあちこちで不満を漏らした。喜んだのは、キョウコと
ヤスコだけだった。

2010年3月4日木曜日

小説 「バック ロード」 08  戸口 了

四人はいつも一緒だった。部活がそのほとんどだったが、たまに
日曜日に遊園地へ遊びに行くのも四人だった。塾が同じせいでど
ちらかというとキョウコとカズオに会話がはずんだが、カズオの
気持ちに気付いているアキラは抜け駆けはしなかった。カズオも
アキラの気持ちを知っていた。二人は決して口に出すことはなく、
お互いの心の奥にしまい込んだ。二人はそのことを避けるように、
できるだけ他のことに熱中した。
三年間、ボクシング部はかなり優秀な成績を修めた。二人が三年
生になったときには部員も二十人を超えていた。そしてアキラと
カズオは負けたことがなく、すべて優勝した。優秀な部員も集ま
りだし団体でも好成績を残すようになっていた。
ところが最後の大会のときに思わぬ事態に面した。カズオの身体
が大きくなり、軽量級では登録できなくなってしまった。大きな
大会は最後なのでカズオは渋々承諾した。
アキラとカズオの初対戦が優勝戦という決定的場面において、と
うとう実現してしまった。プロと互角に戦える実力を持った二人
は他を圧倒し、いやがおうでも勝ち進んでしまった。しかし、周
りの期待や好奇心が高まれば高まるほど、二人の戦意は失われて
いくのであった。

2010年3月3日水曜日

小説 「バック ロード」 07  戸口 了

アキラとカズオは全校で一躍有名になった。そして、ボクシング
部には数名の新入部員ができた。キョウコとヤスコも戻ってきた。
三年生は姿を消していた。カズオが部長になり他の部員を指導し
た。その間にアキラはロードワークをこなし、戻ってくると他の
部員をロードワークに出したカズオとスパーリングを重ねた。
練習は厳しかったが、それ以外は全員歳が同じで、女子もいるた
め文化部のように和気藹々としていた。練習後、だれかが持ち込
んだギターを皆で弾き回すこともあった。アキラは三年間でコー
ドを押さえるのがやっとだったのに対し、カズオは強い興味を覚
え自分でも購入し自宅で練習した。三年生になった頃には部内で
カズオの右に出る者はいなかった。カズオにとってはハードな高
校生活であったが、楽しさが打ち勝ち、なんとかこなした。アキ
ラもそんなカズオを見ており、発奮し、カズオといない時間は出
来る限りジムに通った。
そんなアキラとカズオは二人ともヤスコに恋心を寄せていた。な
んでもてきぱきとこなし、部員の面倒を見る姐さん肌のキョウコ
より、健気にキョウコの手伝いをし、一歩下がっているように見
えるヤスコを意識した。

2010年3月2日火曜日

小説 「バック ロード」 06  戸口 了

アキラは頭の中でカウントを始めた。テンになっても部長は身動
きひとつしなかった。アキラはノックアウトの衝撃を身をもって
感じた。他の部員が部長のところに駆け寄り介抱していたが、ア
キラはカズオと連れ立ってリングのある体育館を後にした。
翌日から、部長は顔を出さなかった。他の三年生部員も出るには
出たが明らかに二人を避け、隅のほうで淡々と個人練習をこなし
ていた。カズオは二人のマネージャーを辞めさせた。そしてアキ
ラとカズオは部で軽く汗を流し、ロードワークに出掛け、ジムで
仕上げるといった日々を送った。
その年の秋の大会に二人は出場した。三年生部員は最後の大会に
なるのだが、部長がいないため参加を拒否した。二人は個人戦で、
アキラは中量級、カズオは軽量級で登録した。ほとんど体格が変
わらない二人だったが二人の対戦を嫌ったアキラがなんとか誤魔
化した。
そして全校始まって以来の快挙を成し遂げた。二人は優勝してし
まった。それもアキラはすべてKOで勝った。ヘッドギアを着けて
いるためKO確率は極めて少ないが、ハードパンチャーであるアキ
ラは相手に打たせるだけ打たせ、自分は相手のチンとレバーに集
中し、そして、決めた。一方、カズオはさらにKO率の低い階級で
カウンターで一つのKO勝ち獲り、他の試合も目を生かし相手のパ
ンチをかわして連打を打ち込みポイントをかせぎ、大差で圧勝し
た。

2010年3月1日月曜日

小説 「バック ロード」 05  戸口 了

ボクシング部は明るくなるはずだった。しかし、結果はまるで逆。
四人いた三年生は二人がジムに所属しているのを知り、嫉妬心か
らマネージャーがいないときには徹底的に二人を苛め抜いた。特
に部長が陰湿だった。毎日スパーリングの相手をさせ、構えたミ
ットをわざとはずし、身体に直接パンチを入れた。二人は耐えた。
カズオはすぐにパンチを見切り、かわしたりダメージを受けない
程度に当てさせ誤魔化していたが、アキラは部長のパンチを思う
ように浴びた。しかし、目は部長の目を射抜いていた。
ある日、部長はアキラにグラブを着けさせてリングに上がらせた。
「はら、打ってみな。打てるんならな!」
同時に無数のパンチがアキラを襲った。
「なんだよ!やりてえんだろ!」
実戦に慣れていないアキラは手を出すこともなく、ことごとくパ
ンチを受けていた。そして、睨んでいた。
「その目が気に入らねえんだよ!」
「アキラ!」
カズオの一声が飛んだ。同時に初めて手を出したアキラのストレ
ートが部長の顎に炸裂した。
カウンターを喰らった部長はそのまま崩れ堕ちた。